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高倉麻子の若い頃がかわいい!選手時代の活躍や旦那や子供など家族についても

高倉麻子の若い頃

サッカー男子日本代表も最近では、新しい世代に選手が代替わりをし、強さを見せつけていますが、サッカー女子日本代表も負けてはいません!

というのも、2016年になでしこジャパンの前監督 佐々木則夫氏の後任として就任された高倉麻子さんが日本男女A代表初の女性監督となったのです。

新体制となったなでしこジャパンは、現在2019年ワールドカップフランス大会の出場権を獲得するなど、好成績を残しています。

さて、この新監督・高倉麻子さんはどのような監督なんでしょう?

ということで、本記事では高倉麻子さんの選手時代や、旦那さん、お子さんなどの家族について紹介します。

高倉麻子の若い頃がかわいい!

高倉麻子監督は現在48歳。現在も健康的な美人ですが、現役時代がかわいい!!という声が上がっています。


まずは高倉麻子監督の経歴とともに、現役時代をご紹介したいと思います。

高倉麻子監督は、1968年に福島県福島市で生まれました。

1968年に日本サッカーリーグが創設され、1993年にJリーグ開幕しているので、男子のサッカーですらそこまでメジャーではない時代でした。

当時野球がやはりメジャーで、高倉監督自身も巨人ファン。

それゆえに、小学校2、3年生までは、女性プロ野球選手になる!と決めていたそう。

しかし、4年生になると、いつも野球をしていた男の子たちが一斉にサッカーを始めるようになり、遊ぶ相手欲しさにサッカーを始めたんだそうです。

男子と一緒にプレーすると、「平等」という言葉はなく、女子だからという理由でいじわるをされたりもしたそう。

そのため、中学校でサッカー部に入るのは、難しいかな?と考え、しぶしぶソフトボール部に入部。

しかし、サッカーと比べると、先輩後輩の上下関係、待ちの時間など楽しくない、理解できないという点が多く、1学期中には退部してしまいます。

サッカーやりたいと悶々とする日々が続く中、母親がサッカー雑誌から「女子サッカー選手募集」という記事を見つけてきてくれたことから、サッカーをまた始めるチャンスをつかむのです。

高倉監督が当時所属したチームは「F.Cジンナン」

な、なんとこのチーム、東京のチームなんです!

週末になると、新幹線もまだできていない時代に3時間15分かけ、大きなカバンを持って
東京まで通っていたんだそう。

ご両親もよく通わせたなと教育方針に感動してしまいます。材木商のご両親は、好きなことをやらせてやりたかったんだそう。

当時まだ女子がサッカーなんて!という時代だけに、チームには大学生や社会人が多く、中学生はとても珍しかったんだそうです。

この少年のような風貌だけに、上野駅ではよく、家出少年と間違われ、サッカー道具を一式警察に見せたこともあったんだそうです。笑

男勝りの行動力ですが、高倉麻子監督ってかわいらしい雰囲気なんですよね。


特に、高倉監督の若い頃は髪の毛も長くて女の子らしい雰囲気です。

そして、中学3年で練習の甲斐もあり、初の日本代表に選出。世界を経験します。

中国まで遠征し、イタリアとアメリカの女子チームと練習するも、当たりの強さや
技術力に心底感動したんだそう。

世界を倒したいと思う高倉監督でしたが、日本にはまだ練習すら十分にできる環境もなかったのです。

さらに、女子校に進学するも、サッカー部はありませんでした。

ツテのおかげで平日は福島工業高校で男子サッカー部に混ぜてもらい練習をおこなっていたそうですが、その頃の男子と女子の体力差は歴然。

なかなか当たりも強く、技術を磨くというよりは、ただ走るという練習だったそう。

高校時代は、平日は男子サッカー部と練習、週末は東京でF.Cジンナンへ。

もちろんF.Cジンナンも「サッカー愛」にあふれたチームだったようですが、指導者も固定ではなく、社会人が持ち回りでやるような、いわゆる同好会といった感じ。

W杯を目指そうとか代表に選ばれたいといった志はなかったそうで、将来を考えた高倉
監督は、高校2年生の時に、現在の日テレ・ベレーザでもある読売日本サッカークラブ・ベレーザに入団。

専用グラウンド、専任の監督と全てが整っており、やっとサッカーをできる環境にたどり着いたのだそうです。

高倉麻子監督の選手時代の活躍は?

和光大学に進学した高倉監督は、まわりからまだサッカーやるの?と言われるようになり、進路を悩むようになったそうです。

サッカーが好きという高倉監督には他にやりたいことがなかったそう。

ちょうどその年に、日本女子サッカーリーグが設立。

第1回、日本女子サッカーリーグで初得点をあげます。

さらに、その2年後1991年には、公式国際大会・アジア選手権が行われます。

これは現在のW杯のような大会で、世界中の選手と戦うこととなりました。

が、その当時の日本の力は世界とはかなりの差があったそうです。

なんとか食い込んでいこう!そう思いプレーしますが、戦術や身体差を埋めるプレー方法などがまだ確立されていなかったのです。

その後も1996年アトランタオリンピックに出場。しかし、その大会を最後に代表としては遠ざかってしまいます。

サッカーがわかるようになってきたと思った頃には、代表に選ばれなくなってしまったのです。

31歳を迎えた90年代後半には、日本の経済状態が悪くなり、女子サッカーから企業が撤退。そのため、リーグ自体の存続も危ぶまれるようになるのです。

専属でプレーできる人は、一握りとなり、また週末サッカーの状態と化してしまいます。

ベレーザも同じ状況に追い込まれ、女子サッカーにプロ契約は無駄と言われ、14年間在籍したベレーザを去ることを決意。

ちょうど30歳になり、まだやれると思っていた高倉監督は、アメリカにプロリーグができるという話を聞きつけ、渡米を決意します。

しかし、練習中に全十時靭帯を切ってしまい、半年で帰国。

33歳で復帰を果たし、2004年36歳まで現役でプレーされていました。

公式戦出場は226試合。2004年までは、歴代1位の記録でした。

高倉麻子さんは日本の女子サッカー界のパイオニアと言えるような存在ですね。

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旦那や子供など家族について

実は高倉麻子監督は、ベレーザを退団後、渡米までに1年ほど松下電器女子サッカーバンビーナに所属されていました。

たった1年なぜ東京から大阪のチームに移動されたのかな?と思って調べてみると、この時期にベレーザの監督も勤められたことがある、竹本一彦氏とご結婚されていました


前列の右から二番目が竹本一彦さんですね。

1996年に竹本氏が、ガンバ大阪の指導者を務めることになったことから、移籍を決意されたのだそう。

サッカーと家事の両立を目指したスタイルはかっこいいですよね!

竹本氏は、柏レイソル、ガンバ大阪、読売サッカークラブユース、日テレベレーザなど指導者として素晴らしい経歴の持ち主です。

現在は、東京ヴェルディのゼネレラルマネージャーをされています。

お二人のサッカー遺伝子があれば、お子さんはさぞすばらしいサッカー選手になるのでは?と思いましたが、お二人の間にお子さんはいらっしゃいません。

お互いがサッカーにかける情熱、サッカー界を盛り上げようとしている姿を見ていると、選手が子供というようになるのではないでしょうか?

とっても素敵ですね!

まとめ

いかがでしたか?高倉監督は、まさにサッカーに人生を捧げた監督といえるでしょう。

史上初の女性監督として、なでしこを導いてくれるのは、もちろんのこと、女子サッカーをつくりあげたといっても過言ではないのでしょうか?

選手時代にママさんサッカーの指導に関わった高倉監督は、教え方がうまいとそのかわいさからアイドル先生的存在だったそう。この時から指導者としての素質があったんですね!

何もない時代から切り開いてきたからこそ、なでしこに足りないもの、必要なものも、
わかるのではないでしょうか?

女子サッカー日本代表が世界の頂点に立つ日が生きている間に来ると思っていなかったと高倉監督はおっしゃっていましたが、強い信念の監督が導けば、また世界の頂点に立てるはずです!

フランス大会がんばってほしいものですね!